RANMARU! BBS

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 なかば、私のツイッター化の掲示板ですが、気味悪がらずに書きこみいただけるとありがたいです。
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一瞬家臣・屋代秀正 - うきき

2024/02/04 (Sun) 07:22:57

「地元でも有名ではない」 戦国武将・屋代秀正、まんじゅうで魅力発信 主君を複数変え、領地守る

『戦国武将武田勝頼の家臣だった秀正は武田氏の滅亡後、織田信長の家臣森長可(ながよし)に仕えた。』

https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2024020300148
(※信濃毎日新聞に移動します)

森家の飛龍天に在り - うきき

2024/01/01 (Mon) 08:21:24

明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願い申し上げます

辰年にちなみ、森家の菩提寺である大龍山可成寺の
命名に関するお話しを貼っておきますね。

『その来由をたづね覓(もとむる)に慈父三左衛門可成
 菩提のためにその名乗を以て寺号とし、山を大
 龍と名付る事ハ、祖父越後守の法号を取り
 殊にハ、九五の飛龍天に在リ、大人を見るに利有
 といふ易えきの心を以て

 森家の子葉孫枝飛龍の天に在らん

 事を欲しかくハ名付け給ふ』

出典:『可成寺記』

元旦の津山城跡 - うきき

2024/01/01 (Mon) 08:24:02

明けましておめでとうございます

Re: 森家の飛龍天に在り - 本名は源

2024/01/02 (Tue) 00:05:12

明けましておめでとうございます。
今年もユルい森家のお話しかできませんが、お付き合いお願いいたします。
今年こそ森家の菩提寺やイベントに行きたいと思います。
ウキキ様にとって良き年になりますよう、お祈りしています。
イタリア系森家末裔。

Re: 森家の飛龍天に在り - うきき

2024/01/04 (Thu) 18:58:59

本名は源様:

ありがとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

お互いによい一年になりますように。

ゆく森くる森 - うきき

2023/12/31 (Sun) 11:58:07

まもなく2023年が終わろうとしています。

2023年は私にとって比較的自由がきく年となり、森家活動を再開できました。
________________________________________________

・2023年は森可成公の生誕500年だったこと。

・久しぶりに武蔵塚や三将の墓におまいりできたこと。どちらの墓所でもずっと蝶々に道案内してもらえて、嬉しかったです。(←人生初の武蔵塚の時に蜂に刺されました。)

・可児市兼山で久しぶりに催された蘭丸供養祭に参列できたこと。

・森家スキーな方々とお話できたこと。

・特別展『森氏と家康』に関わらせていただけたこと。

・「森忠政の手がけた城の石垣の刻印と、美濃の窯跡から発掘された陶片の窯記号の一致」という歴史的新発見の場面に立ち会えたこと。(研究発表していただけるの待ちです!)
________________________________________________
おかげさまでとても森森できた一年でした。

来年は森可成公の生誕501年!
2024年もどうぞよろしくお願いいたします。

AIが描いた森兄弟 - うきき

2023/12/15 (Fri) 10:11:03

戦う森蘭丸

Re: AIが描いた森兄弟 - うきき

2023/12/15 (Fri) 10:12:14

戦う鬼武蔵
翼が生えました。

高木鋼太郎さんに援軍 - うきき

2023/12/09 (Sat) 13:08:45

犬山城天守は本当に新築か 美濃から移築主張の郷土史家に「援軍」
https://mainichi.jp/articles/20231130/k00/00m/040/078000c
(毎日新聞HPに移動します。)

あさって情報! - うきき

2023/11/07 (Tue) 12:52:20

津山郷土史懇話会主催の勉強会

・内容 「津山藩二代藩主・森長継公と禅宗寺院」
・講師:  華山義道・本源寺住職
・日時:  2023年(令和5年)11月9日(木)
              13時~14時30分
・場所: 津山市城西公民館 研修室

ニュース記事 - うきき

2023/12/08 (Fri) 06:56:32

「森長継と禅宗寺院」菩提寺の住職が
講和 郷土史懇話会が勉強会/岡山・津山市

https://tsuyamaasahi.co.jp/%e3%80%8c%e6%b4%a5%e5%b1%b1%e8%97%a92%e4%bb%a3%e8%97%a9%e4%b8%bb%e3%83%bb%e6%a3%ae%e9%95%b7%e7%b6%99%e5%85%ac%e3%81%a8%e7%a6%85%e5%ae%97%e5%af%ba%e9%99%a2%e3%80%8d%e8%ac%9b%e8%ab%87%e3%81%ab%e8%81%9e/
(津山朝日新聞サイトに移動します。)

水野長勝の菩提寺・昌国寺について - うきき

2023/12/06 (Wed) 11:46:39

寄居町公式HP情報

【昌国寺(埼玉県大里郡寄居町)】

元北条氏邦の家臣で、徳川家康の従兄弟であったことから旗本に取り立てられた水野長勝(みずのながかつ)が開基となっています。屋敷跡を菩提寺としたと思われ、現在でも堀・土塁が残っています。水野一族の墓所は町指定史跡になっています。

https://www.town.yorii.saitama.jp/site/rekishikan/syoukokuji.html
(外部サイトへ移動します。)
_____________________

『日本歴史地名大系』(サイト検索で全文読めず)

母伝通院(於大の方)の姉にあたる覚法院の墓、若狭小浜城(現福井県小浜市)城主木下勝俊へ嫁した森蘭丸の姉の墓をはじめ、長勝の子孫の墓がある。

Re: 水野長勝の菩提寺・昌国寺について - うきき

2023/12/06 (Wed) 11:50:17

寄居町教育委員会からのご回答

・水野長勝妻の墓と伝承される五輪塔は、昌国寺の境内墓所に現存しております。
しかし、森蘭丸の姉ということに関しましては、そのような伝承が今も残っていることは事実ですが、同時代の古文書等では確認できませんので地域伝承(寄居町赤浜)の域を出ないものです。
 長勝は、織田信長、後北条氏、徳川家の順に仕官したと言われておりますが、その出自と経歴を含めて不明な点が多いことも、こうした伝承が残された原因の一つかもしれません。

・墓所の説明看板の文字
『 【説明文書】
 正面 輪照院殿月州光心大姉
 右側 石見守長勝の室。地元では、森蘭丸の実姉と伝えられ、信長の媒酌により長勝に嫁いだと言われている。慶長十一年(一六〇六)十二月十三日没 』

自分用メモ 昌国寺(要確認) - うきき

2023/12/02 (Sat) 17:06:02

あかはまむら【赤浜村】埼玉県:大里郡/寄居町地図

昌国寺
母伝通院(於大の方)の姉にあたる覚法院の墓、若狭小浜城(現福井県小浜市)城主木下勝俊へ嫁した森蘭丸の姉の墓をはじめ、長勝の子孫の墓がある。
『日本歴史地名大系』

Re: 自分用メモ なにゆえ庵を結んじゃったの?! - うきき

2023/12/02 (Sat) 17:12:16

. りきまるむら【力丸村】滋賀県:東浅井郡/浅井町日本歴史地名大系
[現]浅井町力丸 野田村の北に位置。田川の支流田根川が北川に発する。地名は森蘭丸の末弟力丸が当地に草庵を結んだことにちなむと伝える。

かしこさを手に入れた力丸 - うきき

2023/12/02 (Sat) 17:30:11

こっちの昔話のほうが力丸村の地名の由来にフィットするような…

「かしこさ」を手に入れた力丸(4-5ページめ)
https://www.ripro.co.jp/yamaoka/archive/ac-kodomo/minwa3.pdf

ここでまさかの織田信長 - うきき

2023/11/23 (Thu) 20:21:20

福岡県久山町の伊野天照皇大神宮を参拝したところ、
説明看板にまさかの織田信長

Re: ここでまさかの織田信長 - うきき

2023/11/23 (Thu) 20:25:21

旧記ってなんの記録のことでしょうか。


『降って、陽成帝元慶元年十二月十五日
(紀元八八七年)
筑前天照神に授位のことが三代実録に見えている。
往昔、この宮は南古宮大神宮として祭られてあったが
旧記によれば武将の信仰厚く、北條時宗、菊池武重
織田信長、立花道雪、小早川隆景等は、各難局に際して奉幣し
或は社領を奉納するなど敬意を表したと云う。』

ソロレート婚メモ - うきき

2023/11/10 (Fri) 12:12:43

池田長幸に嫁いだ森忠政の娘の「お松」が亡くなって妹の「お宮」が池田長幸に再嫁した。

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生存する夫が、死亡した妻の姉妹と再婚する、
そのような風習を『ソロレート婚』と言う。
日本語では「順縁婚」などとと言う。
____________

森家は池田家とは森長可時代から親族のご縁ができましたが、最初の婚姻で結ばれた両親族集団のつながりを維持し続ける努力がそこにあったのですね。

順縁婚でも徳川政権に許可もらわないといけなかったんでしょうけれど。

なお、逆のパターン
夫の死後、その妻が夫の兄弟と結婚する風習は
『レビレート婚』、
日本では「逆縁婚」と言って
江戸中期以降の武家社会では嫌われていたらしいです。


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