RANMARU! BBS

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 なかば、私のツイッター化の掲示板ですが、気味悪がらずに書きこみいただけるとありがたいです。
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無題 - 高木鋼太郎

2026/08/25 (Tue) 08:40:21

うきき様 申し訳ありませんが、的場なる地名も聞いたことは在りません。どこなんでしょう。

兼山町的場 - うきき

2026/08/25 (Tue) 13:14:36

日比野さんのお話しはどこの場所のお話しでしたでしょうか?

下方でご紹介した「兼山町土地宝典(https://dl.ndl.go.jp/pid/1184075/1/31)」の地図を北を上にして再掲載しておきますね。
画像クリックで大きく見れるかと存じます(→)。
的場エリアにある「的」「場」の字を赤い四角で囲んでいます。
google mapストリートビューで見る限り、現在は藪に覆われているようです。

無題 - 高木鋼太郎

2026/08/24 (Mon) 15:24:00

うききさんが何故「的場」が気になっておられるのか気になります。昭和40年頃、日比野金一さん?が、ポツンと一軒家的な感じで、農業をやっておられた様に記憶しています。

超一級情報ありがとうございます。 - うきき

2026/08/24 (Mon) 21:45:03

貴重な情報ありがとうございます!

この「的場」という小字は、美濃金山城に付随して設置された弓場・鉄砲射撃場に由来するのかもしれないと思いました。
城下には決まって訓練場である「馬場」「的場」があるものですから。

この「的場」は、古城山の裾野にあって城内あるいは城下町からすぐにアクセスできる場所ですし、弓矢や鉄砲の訓練を行う場として地理的に最適なロケーションではないでしょうか。

実際にそのような伝承とかございますか?
さきほど、もしや『兼山町史』に書いてあるかもと思いましたが、「古城山の地名」の中に「的場」はありましたが、地名の由来の解説まではしてくれていませんでした。
何か確信に結び付く手がかりがあるとよいのですが…。

「的場」が森一族やその家臣団が、弓鉄砲の稽古に励んだ場所であった可能性を思い、ぜひ次回行ってみようと思っていたのですが、google mapストリートビューを見る限り草木深しで中の状態を覗き込むことも無理そうですね。

それだけに、髙木様の情報はありがたいです。
昭和期は「的場」は農地、つまりは見通しの利く平地・山麓の開けた場所だったのでしょうか。

「的場」が気になる - うきき

2026/08/21 (Fri) 20:37:34

岐阜県可児郡兼山町土地宝典
https://dl.ndl.go.jp/pid/1184075/1/31

Re: 「的場」が気になる - うきき

2026/08/21 (Fri) 20:44:14

google map旧小字「的場」
https://maps.app.goo.gl/qogteoJ8SDVJf8M7A
google map ストリートビュー
行ってみたいと思ったら入りようのない藪。
https://maps.app.goo.gl/Gf4tBcTaHEtut46X6

今渡の地名の由来 - うきき

2026/08/19 (Wed) 14:27:51

金屋村ハ土田の東にあり古名を今渡といふ
天正十年森武藏守の軍勢加茂郡米田城主肥田玄蕃を攻むとて七月二日金山を打立けるが中井戶の渡り羣集して渡かたかりけれハ玉木三藏後藤平左衞門等金山の町裏へ下り立やにはに川を渡しさきがけのはたらきせしより
其所を今渡りと名付たるよし 金山記に見えたり東山道のあひの宿にて休茶屋あり
『新撰美濃志』

========================
(現代語訳)
金屋村は土田の東にあり、古名を「今渡」といった。
天正10年、森武蔵守(長可)の軍勢が加茂郡米田城主・肥田玄蕃を攻めるため、7月2日に金山を出発したが、中井戸の渡しは人が大勢集まっていて渡りにくかったので、玉木三蔵、後藤平左衛門らは金山の町裏へ下り、すぐさま川を渡って先陣の働きをした。
それでその場所を「今渡」と名付けたという。『金山記』に載っている。
ここは東山道の間の宿で、休憩する茶屋があった。
『新撰美濃志』

Re: 今渡の地名の由来 - うきき

2026/08/19 (Wed) 15:26:22

金屋村地図
https://geoshape.ex.nii.ac.jp/nrct/resource/21/210000281900.html

金屋村は土田の東にあり、現在の今渡にあたる地域

次回無料キャンペーンは7月7日です。 - うきき

2026/06/11 (Thu) 14:46:35

お礼:皆様と森長可公のおかげで、
6月8日(月)時点でKindleストア売れ筋ランキング

無料タイトル 22位
歴史学1位
日本史1位

になりました。
ありがとうございました。

次回の無料キャンペーンは7月7日です。

Re: 次回無料キャンペーンは7月7日です。 - Kijokazu URL

2026/06/12 (Fri) 00:34:18

おめでとうございます。無料キャンペーンでも1位は凄いです。
私も折を見て、購入・拝読しなくては・・・。

Re: 次回無料キャンペーンは7月7日です。 - うきき

2026/06/13 (Sat) 13:28:31

ありがとうございます。
出版の案内をした時にはKindleが何かわからない方が多かった印象なのに、
多くの方がその壁を越えてくれてダウンロードしてくださってひたすらありがたいです。
長い歳月をかけてずっと調べてきたことを、外の世界に渡せた安心感も大きいです。

Kijokazu様も7月7日の無料キャンペーンを利用してくださいね。
よろしくお願いいたします。

Re: 次回無料キャンペーンは7月7日です。 - Kijokazu URL

2026/06/13 (Sat) 22:55:17

無料キャンペーンを利用するのは申し訳ないと感じ、普通に購入しました。
すぐには読めないと思いますが、取り急ぎ、報告します。

Re: 次回無料キャンペーンは7月7日です。 - うきき

2026/06/14 (Sun) 00:05:58

Kijokazu様:
無料キャンペーンで全然構わなかったのですが、
ありがとうございます

寝る前にKijokazuさまの本を拝読します。

Re: 次回無料キャンペーンは7月7日です。 - Kijokazu URL

2026/06/14 (Sun) 00:45:04

私がKindle出版したのは下記アドレスの2冊ですが、
日本史とは無関係ですし、興味がない方は全く面白くないので、
無理に読まれなくて大丈夫ですよ・・・。
(ちなみに猫の表紙を描いたのは妻になります。)

https://www.amazon.co.jp/dp/B0H3GBLV3D
https://www.amazon.co.jp/dp/B0H42186JS

電車の車窓から見える森家史跡本を作ってください。 - うきき

2026/06/14 (Sun) 14:49:49

説明が下手ですみません。
前回の私の投稿時にはすでに
『ドリームランドモノレールに沿って』
を購入して拝読中でした。
毎晩寝る前にちびちび拝読します。
もう一冊の表紙は奥様画とすぐにわかりましたよ。

Re: 電車の車窓から見える森家史跡本を作ってください。 - Kijokazu URL

2026/06/14 (Sun) 21:28:32

購入ありがとうございます。こちらも下記アドレスのとおり、
微力ながら自分のX(旧Twitter)で紹介してみました。

https://x.com/kijokazu/status/2066144824575861133

猫の絵の表紙もわかりましたか。さすがに件名の史跡本は厳しいなあ。

では、消えゆく広見線の本とか… - うきき

2026/06/16 (Tue) 21:44:35

Xでご紹介くださりありがとうございます!
とても嬉しいです。

Kijokazuさまの次回作も頑張ってください。

Re: では、消えゆく広見線の本とか… - Kijokazu URL

2026/08/13 (Thu) 22:44:41

遅ればせながら『翻刻・現代語訳 森家先代実録 巻第四 森長可の巻』を拝読しました。
この文量の現代語訳とリフロー型電子書籍への体裁化には苦労があったと察せられます。
現代語訳はわかりやすく、森長可公の血気が伝わり、私自身の執筆活動の刺激にもなりました。
私の次回作は日本史でも鉄道でもなく技術書ですが、分野は違えど共に頑張りましょう。

ありがとうございます! - うきき

2026/08/14 (Fri) 20:47:22

お久しぶりですKijokazu様。

本当に嬉しいお言葉の数々ありがとうございます。

頑張って現代語訳した内容が読んでくださる方に届いたんだという事を実感でき、やった甲斐を感じました。

出版するって、自分の知ることや残しておきたいことを誰かに繋げていくことでもありますものね。
お読みいただき感謝しております。


自分の責任で何かを作って世に出すって、本当に大変なことだと改めて感じました。
さらにkindleに関しては私は「リフローって何?」からの勉強でしたし、Wordは未だ思い通りに操れません。(^^;)

Kijokazu様のように私も歩みを止めずに引き続き更新と執筆をつづけようと思います。
Kijokazu様の次回作も頑張ってください。


あ、長久手古戦場記念館の秋の特別展は「森兄弟」だそうですよ!

ではでは、今後ともよろしくお願いいたします。

Re: ありがとうございます! - Kijokazu URL

2026/08/14 (Fri) 22:38:24

Amazonのカスタマーレビューで星を付けました。出版への思いは仰せのとおりです。
長久手古戦場記念館の情報もありがとうございます。涼しくなったら、妻と行きます。

ありがとうございます - うきき

2026/08/15 (Sat) 20:48:26

kijokazu様

★をたくさん下さり、ありがとうございます。
私もkijokazu様の著書読了後にレビューさせていただきます。

やってみよう!K検定(可児市) - うきき

2026/08/13 (Thu) 02:36:35

やってみよう!「K検定」
https://www.city.kani.lg.jp/12335.htm

2026年度版K検定
https://www.i-tools-dc2.net/k-kentei/index.cfm
「上級」の合格者は希望すると2026年度版の鶴丸缶バッジがもらえます。

無題 - 高木鋼太郎

2026/08/12 (Wed) 12:06:15

御教示いただきありがとうございます。甲申戦闘記は、江戸時代中頃に書かれた数多くの軍記物のひとつであり、森家先代実録や、長久手合戦記同様、時の実力者等の影響下で書かれた史料とも言えるのではないかと思います。今回、私は、秀吉が、天正12年4月5日から9日に出した手紙のみに絞って、大草城の場所を考えてみました。4月8日の手紙も大草城が長久手とするほうが理解しやすいのではないでしょうか。

無題 - 高木鋼太郎

2026/08/11 (Tue) 10:02:05

秀吉文書にみる大草の城は何処か

大草の城 - うきき

2026/08/11 (Tue) 22:39:46

こんにちは。Xのご投稿を拝見しました。
ますます長久手の大草城にご関心を深めておられるご様子ですね。

私はまだ、長久手合戦関係の膨大な資料をとても網羅できておりませんが、この時分の秀吉は三河中入り作戦を意識して、小牧山城から出てきた徳川家康が岡崎へ向かうところを討つ想定で、軍事拠点や屋敷を篠木・柏井方面で押さえようとしていたのではないかと考えています。

ですので、ここでいう「大草」は、素直に小牧の大草のことではないかと私は思いました。

さらに、秀吉の言っている「大草城」とは、池田恒興が「篠木之内大草村ニ砦ヲ築キ」(『甲申戦闘記』)という砦のことを指しているのではないかとも個人的には考えています。

秀吉が犬山に着陣した際、池田恒興は奪取していた犬山城に秀吉に入ってもらい、自身は大草に砦を築いて退いているようです。

その大草の砦の所在地については、『甲申戦闘記』に、

「大草村ハ小牧ヨリ東ニ当テ一里半辰ノ方、犬山ヨリハ二里半余」

とあり、『長久手町史』第6巻911ページに収録されています。

また、秀吉は長久手合戦前日に丹羽長秀へ書状を送っています。ここでも、秀吉が意識しているのは進軍路上にある小牧の大草のことではないかと私は思います。

「一、去六日に池勝入・森武・孫七郎・左衛門督人数弐万四五千にて、
至小幡表差遣、小幡城二ノ丸迄攻入、首百余取、則龍泉寺山を
根城二拵、柏井・大草何も取積丈夫之普請申付候、今明中二首尾
候間、然者小幡・森山其外不残令放火、至参州表令手遣、可発向
調儀間、九鬼右馬允も船手ニて彼国へ差遣候事、」

私はまだまだ勉強不足なので、もっと資料を追ってみないと正解はわかりません。

森長可「森武」のことが書かれた朱印状発見 - うきき

2026/08/09 (Sun) 13:26:38

たつの市定例記者会見資料
「旧家で新発見 羽柴秀吉の朱印状」
https://www.city.tatsuno.lg.jp/material/files/group/1/202608_teirei6.pdf


以下、上記リンク先記者会見資料より引用↓↓↓
(上記リンク先には書状の画像もあります。墨継ぎが美しい…):
_________________________
新発見の羽柴秀吉朱印状

(1)羽柴秀吉朱印状 (天正 12 年)卯月 21 日 折紙 31.5×49.5
4 月 9 日の長久手での敗戦後に、脇坂安治・山岡景隆から送られてきた陣中見舞いへの返書。

________________________

書状令披見候、此面
為見舞、国衆かた
より使者を越候、得
其意候、当地之儀
先度池勝・森武
雖不慮候、弥普請
彼是申付候間、可被心易候、
将又、材木之義、水
出候はぬ以前ニ悉
河端迄可出置候、
尚以、爰許之儀、
楽田・尾口・羽黒之
用害申付、軈而可
明隙候間、其通国衆
へも可申聞候、恐々謹言、
     筑前守
  卯月廿一日秀吉(朱印)




   山岡美作守殿
   脇坂甚内殿
__________________________________________


池田恒興(勝入斎)と森長可(武蔵守)の討死があったが、陣地の普請を固めている
ので心配するな、伊賀の材木は河端まで出しておけ、楽田(犬山市)・尾口(小口、
大口町)・羽黒(犬山市)に要害を作らせている。やがて手が空くだろうから伊賀の
国衆にそのように伝えておけ。

関連ニュース - うきき

2026/08/09 (Sun) 13:27:41

関連ニュース
・「小牧・長久手の戦い」めぐる秀吉の書状新発見 兵庫 たつの 2026年8月6日 18:16
https://news.web.nhk/newsweb/na/nb-2020032155
・小牧・長久手の戦い「家康が優位」の通説見直し?…秀吉から家臣への書状に「家康から和議申し込み」
『…1通目は天正12年(1584年)4月21日付で、秀吉側の武将だった池田 恒興つねおき と森 長可ながよし が討ち死にしたことに触れ、「陣地の普請を固めているので心配するな」と記述。伊賀で後方支援をしていた安治に「材木は河端まで出しておけ」などと指示している。』
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20260807-GYT1T00142/

『美濃金山城跡発掘調査報告書3』 - うきき

2026/08/06 (Thu) 15:39:18

刊行物のご案内
https://www.city.kani.lg.jp/5584.htm
(※可児市サイトに移動します。)

全国文化財総覧サイトから無料でダウンロードすることもできます。
『美濃金山城跡発掘調査報告書3』
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/147839
(※全国文化財総覧サイトに移動します。)


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